喧嘩


五年前、彼と口喧嘩した。
二人ともいつもとは想像もつかないくらい熱くなり、今にも殺してやるというような目で睨みあった。それこそ下手すれば、手裏剣やクナイを持ち出していたかもしれない。
そんな中、彼は唐突に、別れましょうと俺に言った。
咄嗟のことに唖然とする俺にかまわず、彼はぷいとそっぽを向いて、さようなら、と言ったのだ。
俺は悲しいとか、別れないで、という気持ちよりも、どうしてそうなるんだという怒りで頭がいっぱいになり、こめかみがきりきりと痛んだ。
あんなに、愛しているだとか好きだとか言う度にはにかんでいた癖に、いきなり別れる、とか。どうしてそんなことを言い出すんだ。勝手過ぎる。許さない。
許さないという思いから、俺も別れてしまおうと思った。そんな判断もつかない位、感情が昂ぶっていたのだ。

ぴりぴりと緊迫した空気の中で、俺は彼の部屋を出ていく時に、これから先の俺のいない人生を、せいぜい幸せに暮らしてくださいね、と言った。
すると彼は大声で、はいはいそちらこそ、と言った。


あれから五年が経った。俺は、木ノ葉の里への道を歩いている。


彼と口論したその夜に、やけくそになった俺は火影の元へ行き、前々から断り続けてきた、他国での長期任務を引き受けた。勿論、そんなことを彼には言わずに、だ。任務期間は、五年だ。
里を出る時、俺は後悔などしていなかった。なぜなら、彼の方から何かしら行動を起こしてくる、と思ったからだ。五年間も俺の様な上忍が里からいなくなるとなると、里で噂されるに違いない。これから一日二日も経てば、彼も俺がいないということを知るだろう。そうもすれば、俺が悪かったです、だとか、やり直しましょう、だとかいう文を送りつけてくるに違いない。五年もいないのだ。いきなりそんな長く、愛していた人がいなくなるということを知ったら、きっとあり得ない位に取り乱して…と考え、俺はにんまりとしたものだ。

しかし、この五年間、待てども暮らせども、彼からの文は一通も来なかった。

俺は最初の三か月、怒り狂った。今日も彼からの文がなかったということを知る度に、言いようもない怒りにかられ、意味もなく部下を怒鳴りつけてしまったりした。薄情者め、絶対に許さない、と人知れず涙を流した。

それからしばらくして、急に、最後に彼に言った捨て台詞を思い出した。
俺のいない人生を、せいぜい幸せに暮らしてください、という言葉だ。
あれは勿論、いやみから言ったものだ。だがきっと彼のこと。その言葉を真に受け、俺を忘れて幸せになろうと頑張っているのかもしれない。
それなら俺も幸せになって、彼を見返してやろうじゃないか、と思った。いい人を見つけて、子供でも作って、彼のことなんて忘れてやる。

良さそうな女はすぐに見つかった。俺好みの美人な女だ。少しでも気がある様な態度を見せれば、すぐにすり寄ってきた。こんなの簡単だ。あとは愛しているとでも言ってやれば、すぐに俺のものになるだろう。
だが、いざ彼女にその言葉を言おうとした時、俺は激しく絶望した。

結局は、こんな行動も、彼を忘れる為にやっているのではなく、むしろ彼を思い出す為にやっているということに気付いたからだ。
彼女の為に何かする度に、彼の事を思い出す。彼も幸せになろうとしているんだ、と考えてしまう。全ての事が、彼を軸にして動いている様に見えてしまう。こうして長期任務を引き受けたのも彼のせい。女を口説くのも、部下を怒鳴りつけてしまうのも、日々むせび泣くのもそれでも彼の文を待っているのも幸せになろうと考えているのも彼のことを忘れようとしているのも彼のことを憎いと思っていることも木ノ葉の里を思い出してしまうのも何もかもすべて彼のせいだ。
結局、自分は彼からの呪縛から逃れられないんじゃないかと、また自嘲して涙を流した。

相変わらず、彼からの文は待っていた。だが一年、二年、と経つ毎に、その待つという行為に意味があるのかないのかさえ分からなくなってきた。
彼のことを思い出す度に、辛くて、逃げ出したくなるのに、それでも未だに思い出してしまう。自分は一体何をしているんだ。何故こんな、終わりの見えないような孤独な戦いをしているんだ、彼からの文は届かないのに。
その時初めて、彼に文を書いてみようかという気持ちになった。今まで、絶対に自分からは書かないという意味の分からないプライドが、自身を縛りつけていたのだ。
筆を執って、何を書こうか考える。
思いつかない。
俺が悪かったです?元気にしてました?幸せになっていますか?どうして文をよこさなかったんですか?俺はこっちでうまくやっていますよ?
今更何について書いたらいいんだろうか。もうあの些細な口喧嘩から三年も経っているというのに。
自暴自棄になり、持っていた筆を床に叩きつけた。

次第に、彼への想いに疲れてきた。もう嫌だ。こんな思いする位なら、これから先の生涯をこの里で送ってもいいんじゃないか、とも思えてきた。当の彼は、俺なんかに縛られずに、幸せな人生を木ノ葉の里で歩んでいるかもしれないのに。俺のことなんか綺麗さっぱり忘れて、付き合っていた当時の話を笑い話として同僚に話しているかもしれないのに。

そんな時だ。木ノ葉の里から、帰還命令が下ったのだ。

気が付けばもう、五年が経っていた。
五年は、文を待つには長過ぎ、彼を捨て切って新しい人生を歩もうと思いなおすには短過ぎる期間だった。

里への帰り道、俺はぼんやりと、また彼のことを考えていた。疲れるからと彼について考えることを脳が拒絶しているのにも関わらず、心がそれを許さない。会ったらどうする。彼のことを殴るか。無視するか。
彼が幸せになっている姿を見れば、自分の中で何かしら決着がつくのではないか。

隣をあるいていた部下が、もうすぐ着きますね、と言った。その隣には、小柄な女性がいる。結局は夫の故郷で挙式することにしたらしい。


俺は結局、幸せになんてなれなかった。
彼のことを、片時も忘れられなかった。







なのになんだ。なんで彼は、ああなんだ。
何もかも終わらせるという決意で火影の元へ行こうとした時、その、五年間ずっと俺の心を支配していた彼がいた。

なのに、彼は、もう、
相変わらず、五年も経つのに、
受付をやっていて、
上忍にぺこぺこ頭下げていて、
やつれた表情で書類を整理していて、

…何も変わっていないじゃないか。


しかも、俺を見た時の表情。一瞬ハッとなったかと思ったら、途端に、ぎろりと睨みつけてきたのだ。言葉もなしに。


どうして、なんで彼は自分に笑いかけないんだ、と思った。これでもかって笑顔を俺に見せつけて、幸せですよ俺はって見せつけてきてくださいよ。

どうしてそんな、不幸な顔をしているんですか。


何も変わっていない彼を見ていると、自分が五年間も考え、悩み、葛藤していた事が洪水のように溢れ出してきたように感じた。
彼が憎い、ずるい、子供じみている、卑怯だ、許せない、そう思っていた、いや、今も思っているのにも関わらず、
思い出の中にしかいなかったセピア色の彼が、いま現実に、色鮮やかな姿で自分の前にいるという事実に直面して、
俺の体は、彼に触れて、抱き締めたいという思いに震えていた。




「なんですか。あんた、幸せになったんじゃなかったんですか」

散々悩んできたのに、最初に出てきた言葉は驚くほど幼稚な台詞だった。

すると彼は一瞬言葉に詰まった様だが、顔を真っ赤にして反論してきた。


「あ、あんたこそ―――…!!俺はてっきり、他国のお姫様なんかを連れて帰ってくるのかと思ってましたよ!!」
その言葉に俺はむっとした。そのつもりだったのに、それをさせないようにしてきたのは、他でもない彼だからだ。


気まずい沈黙が流れる。
俺は、その沈黙を破って、彼に言おうとして来たことを言った。






「「五年間も連絡ひとつよこさないで――――…」」







その時、彼と俺の言葉が被った。



さっと視線を逸らしながらも彼の表情を盗み見ると、耳まで真っ赤に染まっていた。多分俺の顔もそうなっているだろう。











後で聞いたことだが、彼は、俺と何について口論したかが全く思い出せないらしい。

俺もそうだった。













20110206

長〜い夫婦喧嘩です(笑)

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