お願いだから
暗闇の中で、ドンドンドン、と音がする。
それは最初、頭の隅からかろうじて聞えてくる位の、そんな小さな音だった。
だがそれは、次第に大きくなっていく。じんじんとこめかみを焼くような――――……
「…………?」
しょぼしょぼと目を開けると、相変わらずその音は部屋中に鳴り響いている。玄関のドアを叩く音か、と気付くのに暫くかかった。
頭がぐらぐらする。起き上がりたくない。
布団の中で身を捩じらせるが、相変わらず鳴りやまないノック。
俺はあくびを噛み殺しながら何とか立ちあがり、よろけながら玄関へと向かった。勝手知ったる自分の家だから電気を付けなくても玄関まで行けるだろう、と思っていたのだが、途中で壁にぶつかりかけた。
ガチャリ、と開けた途端に視界に飛び込んできたのは、銀色の髪の毛。
「俺、別れて来ました」
俺が僅かに開けたドアの間から、その銀色の髪の持主は身体を割り込ませてくる。ああ、カカシさんか。
ぼうっと彼を見つめていると、カカシさんは済まなそうな顔で言った。
「俺って可哀想な人ですよね…」
「へ」
可哀想な人?なんで可哀想な人?
そうも考えているうちに、目が霞んでくる。こみ上げてくるあくびと涙。そして頭をぎゅうぎゅうと締め付ける様な頭痛。
眠い。眠すぎる。
いつもカカシさんが誰かと付き合って別れる度に親身になって相談を聞いていたけれども、ちょっと今は…
ぐらりと首が傾いたので、慌てて立ち直る。いけないいけない、立ったまま寝るな。相手は友人と言えども上忍…だ…ぞ…
「イルカ先生?」
「…………はっ」
なんだ今の俺。もしかして本当に立ったまま寝ていたのか。不思議そうな顔で俺を見るカカシ先生の顔が、溢れてくる涙で歪む。ああもう止まれあくび。
とりあえず今は彼に帰ってもらわなければ、俺の身体が持たない。
話を聞くのは、明日にしてもらおう。
「それは大変でしたね、カカシ先生…」
「でしょー?だから…」
「ですが…その…申し訳ありません、俺もあなたの話をもっと聞きたいのですが、今晩は遅いようですし…カカシ先生もお疲れでしょう?」
気が遠のきかけながらも、なんとか柔らかい物言いはできたみたいだ、多分。
ずきずきと痛む頭を押さえながら彼に会釈し、「それではお休みなさい」とドアを閉めようとした時だった。
ドアを物凄い勢いで押さえられる。
「え……」
ノブを掴んだ俺の手はピクリとも動かない。
「あ、あの…」
「何よその物言い。ちょっと冷たすぎなんじゃない?」
こんなカカシ先生、見たことがない。それは俺がヘロヘロな状態でも分かることができた。頭痛とは別の痛みがこめかみを刺す様に締め付けてくる。その痛みの原因は、俯くカカシ先生から漏れ出てくるよどんだチャクラだろう。
「す、すみません、カカシ先生…俺も言い過ぎました」
流石にこれで俺の眠気も飛んだ。少し、だが。いくら眠いとはいえ、目上の、しかも傷心の人を会って早々追い返そうとするなんて。
ドアノブに掛けていた手を離し、彼に深く頭を下げる。しかし上から降ってくるのはやはり不機嫌そうな声。
「あんたさ、どーしてそんなに鈍感な訳?俺はこれでもね、ずっと我慢してきたんですけど」
…意味が分からない。顔を上げてぼんやりとカカシ先生を見る。多分今の俺の顔はアホ丸出しといった感じだろう。そしてこんな時にまたこみ上げてくる眠気。眠ったら気持ちいいよ、気持ちいいよ、という誰かも分からない声が頭に響いてくる。
ううう、寝たい。今すぐあのあったかい布団に入りたい。
そう考えていた時、ついにカカシ先生が爆発した。
「ッ………! あーーーーーもう!!!」
俺を半ば突き飛ばして中に入ってくる。その反動で玄関で尻餅をつく俺を余所に、カカシ先生は廊下の電気をパチリと付けた。チカッと目をさす光。なんでこんなに眩しく感じるんだろう。俺はカカシ先生が勝手に入って来たことよりも、そのことの方が気になってしまった。
「さあこっち来て座りなさい!!」
未だに光に慣れない目をしょぼしょぼと擦ると、短い廊下の先にある居間にカカシ先生は正座して、畳をバンバンと叩いている。とりあえず、そこに行かなきゃいけないのか…?
幾度か壁にぶつかりながらも居間へ行くと、腕をぐいと引っ張られて座らされる。正座というか、へたり込む様な座り方になってしまった。
もう勘弁してくれよ…これが自分の無礼な行為が招いた結果だとは分かっていても、俺はうんざりする気持ちを隠せなかった。
そんな俺の前で、カカシ先生は腕組みをして俺を睨みつけてくる。
「もう俺も我慢の限界です。あんた教師してるくせにどうして洞察力がないんですか?そんなんで良く生徒の家庭環境とか察せますよね」
何だか良く分からないことをべらべらと喋り出すカカシ先生の後ろに掛かっている時計を見て、俺は絶望した。
…今、朝の4時かよ。
まだ1時間も寝てないのに…あと2時間しか眠れないじゃないか。
…どーしてくれるんだよ…
「俺が貴方と出会ってから付き合った女の数、覚えていますか?15人ですよ15人!」
そんなん覚えてねえよ、と心の中で毒づき、頭を押さえる。眠気は勿論さっきから凄いが、それよりも段々とこみ上げてくるのはイライラだった。
朝の4時から家に押し掛けてきて失恋話とは、今更だが非常識にも程があるんじゃないか。
「こんなに沢山の人と付き合っていて、それを全部アンタに相談してるんですよ!?ちょっとはおかしいと思いませんか!?」
「……………」
相槌を打つのも面倒くさい。視界の端に映るのは、先程まで自分が倒れこんでいた布団だ。今はその布団がきらきらと光り、まるで天国に見える。
あー…眠い…じゅる、と涎が口元を伝う。
「カカシせんせい…」
「なんですか!?」
「俺はここ2しゅうかんほど、しごとがいそがしすぎてろくにねれていません。ひょうろうがんにたよるのももうむりです。きょうはひかくてきはやくかえってこれたのでよかったのですが、あしたは6じおきでアカデミーにいってえんしゅうのじゅんびをしなければいけません」
「そうなんですか。それよりもね…」
カカシ先生は、あっさりと流した。俺が必死でこの疲れ加減と眠さ加減をアピールしてるのに、だ。そりゃ上忍だったら二週間殆ど寝ないなんて屁でもないだろう。でもこちとらしがない中忍なのだ。
尚もべらべらと良く分からないことを喋り続ける彼を、涙目でじろりと睨む。この涙は寝させてもらえない怒りや悲しみから来るのか、あくびを堪えたから来るのかなんて分からない。
「………ですからね、イルカ先生」
そうこう俺がうだうだと考えているうちに、カカシさんの口から「結論」らしき言い回しが出た。よし。遂に終わる。俺は心の中で胸を撫で下ろし、眠さで傾く身体に最後の力を入れて、「はい」と言って姿勢を正した。
「俺が言いたいのはですね、」
「はい」
「貴方が好きだってことなんです」
………………?
ん……………?
今、好きって言った、のか?俺が?何で?意味が分からない。
でも、引っかかるのは面倒くさいのでそのまま流すことにした。
というか………
ガクッと船を漕ぐ身体を立て直す。
もう眠さが限界で全てがどうでもいい。
「そうなんですか、それではおやすみなさい」
やった。カカシさんの長い話が終わった。俺はふらふらと立ち上がって、きっとまだ温もりが残っているであろう布団に倒れこもうとしt…
「で、返事は?」
あれ、いつまで経っても布団が身体を包み込んでくれない。目を瞑ったまま布団を手繰り寄せようと手を伸ばすと、くしゃくしゃと何か犬の毛でも触っている様な感覚がした。
薄く目を開けると、そこには銀色の髪。
俺は布団ではなくカカシ先生に抱きこまれていたのだ。
「へんじ…?」
「俺は貴方が好きなんです。貴方はどうなんですか?」
*** ***
ジリリリリリという目覚まし時計の音で、俺はガバリと起き上った。時計を見ると、6時。良かった寝坊していない。俺はほっとしておもむろにベットから降りた。
「おはよーございます、イルカせんせ」
「おはようご…え、ええええええ!?」
あやうく普通に挨拶を返してしまうところだった。俺は声の主を目にしてたじろぐ。
ど、どうして、ここにカカシさんがいるんだ!?
彼はちゃぶ台でのほほんと茶を飲んでいた。
俺は必死で記憶を巡らせる。
…そうだ、昨日は…カカシさんが家に訪ねて来て…
それから…
えーっと…えーと…
駄目だ、記憶があやふやだ。
俺は何をしたんだ…と頭を抱えていると、カカシさんは嬉しそうに近づいてくる。
「えへへ〜俺達、晴れて恋人同士ですね〜」
「こ、恋人同士!?カカシさん何言ってるんですか!?」
いきなり彼の口から出てきた意味不明な単語にますます訳が分からなくなる。恋人?俺と?カカシさんが?
そしてカカシさんはこれまた嬉しそうに俺の腰に腕を回してくる。おいおいおい…この人は俺に嫌がらせをしているのか。
そうこうして時計を見た瞬間、俺の首筋を冷たい汗が伝った。
「やややややばい!時間っ!」
でれでれと笑うカカシさんを押し退け、俺は超特急で忍服に着替えた。朝食なんてとっている暇はない。
「で、では!行ってきます!」
「は〜い行ってらっしゃい」
廊下でカカシさんがひらひらと手を振る、が、俺は即座にこのやりとりに疑問を持つ。
「な、なんで貴方が平然と俺の家に居座ってるんですか!ほら!貴方も出る出る!」
「え〜」
残念そうな顔をするカカシさんを追い出し鍵を閉めると、俺はちょっと気まずい気持ちで彼に向き直った。
「その…すみません、今はとても急いでいるもので…今夜、昨日の晩のことを聞かせてください」
「はぁ」
「では失礼します!」
気のない返事をするカカシさんを置いて俺は駆け出す。それはもう気になることなんて山ほどあった。だが今はもうそれどころじゃない。
寝不足なはずの身体も、急ごうとすればここまで機敏に動けるのか。俺はまぶしい朝日を浴びながらそんな自分の身体にちょっと感動していた。
イルカは知らない。あの夜、あの告白の後、カカシが「『俺も好きです』と言うまで寝させません!」とイルカの肩を揺さぶり続けていたことを。
「最初からこーしとけばよかったんだね〜」
イルカがいなくなった後のアパートの前で、カカシは嬉しそうに腕組みをして呟いた。
20110330
色々と変で本当にすみません…;;
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