「ねぇテンゾウ、今夜、ヒマ?」
報告書を出した帰り道唐突に現れた先輩は、そんなことを僕に聞いた。先程から彼の気配は感じていたけれど、現れざまにそんなことを聞いてくるとは想像もつかなかった。
言葉に詰まる僕を余所に、先輩は尚も畳み掛けるように聞いてくる。
「ねえヒマって聞いてんの。ヒマならさ、今夜俺んちで飲まない?」

その言葉に、内心開いた口が塞がらなかった。
暗部時代から「生活感がない」という言葉をそのまま体現してきた様な人だったから、もはや「家」という言葉が一瞬理解できなかった。
「一体どういう風の吹き回しですか」
すると彼はにんまりとして、どこから取り出したのか酒瓶を僕の前にぶらぶらと見せつけて言った。
「いや〜最近、なんだかんだで深く話しあってなかったじゃない?だから、さ。一回のんびり飲んで語り合おうじゃないかって思って」

そんなの口から出まかせじゃないか、と疑った。今まで話合う機会なんていくらでもあったのに、突然こんな時に「飲もう」と言い出すなんて、意味が分からない。第一、ただ単に話して飲むならそこら辺の居酒屋でもいいじゃないか。

「今夜は、ちょっと…用事があるので…すみません」
自分が勝手に悩んでいるだけなのにそれを先輩にぶつけている様な気がして、僕は先輩からの誘いを断った。
だが、
「そんな用事ないんでしょ、本当は」
と図星を突かれ、ぐっと口をつぐんでしまった。
「あの報告書出してから明日の夕方まで任務なしって知ってるんだよ?俺は。仕事一筋のお前にそれ以外の用事ってあんの?」
それとも悩み?俺でよかったら相談に乗るよ?明日の任務に影響が出ない位飲むだけだから、と捲し立ててくる先輩に背を押され、僕は全て図星なことに怒りを覚えながらも、彼の家へと足を向けていた。

「ここ、俺んち」
と指さした先には、こじんまりとしたアパートがあった。ギシギシとなる階段を彼の後に続いてのぼっていく。
夕日が差し込む踊り場を眺めながら、僕はぼんやりと、先輩に悩みの種をぶつけてしまおうかと思った。
そう考えているうちに彼の肩にぶつかってしまう。ぼんやりと歩いていた所為で、先輩が自分の部屋で立ち止まり鍵を開けていることにも気付かなかったのだ。
「す、すみません」
「大丈夫?テンゾウとしたことがどうしたの〜」
と言いながら、先輩はガチャリとドアを開けた。途端に鼻をくすぐる美味しそうな匂いがしてくる。
もしや先輩。僕を誘った理由って。
「さ、入って入って」
玄関で靴を脱ぎながら手招きしてくる先輩を横目に「はあ…」とため息をつき、「お邪魔します」と中に入る。
先輩が嬉しそうに
「ただいま」
と言うと、案の定、パタパタと足音が聞えてきた。

「もう先輩…これを見せつけたくてボクを呼んだんですか?」
「まぁね〜」
えへへと先輩は笑う。

先輩自信、暗部時代から「生活感がない」と周りの仲間に思われていた事には気付いていた。それを払拭というか、「俺は変わった」ということを示したくて僕を呼んだのだろうか。先輩もかわいいところがあるじゃないか。僕はひっそりと笑ってしまった。
彼が靴を脱ぎ終わり立ちあがった途端に、その恋人とやらは姿を現した。




「――――――…!?」


僕は靴を脱ぎかけの姿勢のまま固まってしまった。

なぜなら、その視線の先には、僕の悩みの種であり二週間前から行方不明になっている、うみのイルカの姿があったからだ。






20110319




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