スプリット・パーソナリティー?



「ほれへれすね〜おれはなるろに」
「イルカ先生〜呂律回ってないですよ?」
俺の軽いつっこみも聞いているのかいないのか、イルカ先生はえへへへと笑いながらまた酒をあおった。久々の宅飲みだから、彼も大分落ち着いているのだろう。自分を信じてくれているということが分かって、とても嬉しかった。
ちゃぶ台の周りにはビールの缶が散乱し、一升瓶がどんと置かれている。これだけビールを買ってきたんだから、流石にこれまでは開けないだろう…とあくまで保険で置いておいた日本酒までもが開けられ、イルカ先生は今それをぐびぐびと飲んでいる。

「きょうわぁ、もーのみあかしますおっ!!」
「も〜充分飲んでるじゃないですか〜…」
俺は必死で苦笑を繕って、そういったたしなめの言葉を掛けていたが、
実はというと、いま心臓はバクバクだった。

この酔い方だと、もう少し、もう少しだ。
あと少しで――――…

そう思って内心にんまりしていると、突然、ドスッ、という音と共に、胡坐をかいていたイルカ先生が仰向けに倒れた。畳に日本酒がぶちまけられる。

きた。

それは直感だった。そして小さくガッツポーズをしてしまう。

「イルカ」が、久しぶりに現れる。




*** ***




記憶失うまで飲んだことないんですよ、と笑うイルカ先生を、「じゃあ今夜はとことん飲んでみましょう!」と自宅に誘ったのは、付き合いだしてすぐの事だった。もちろん、「誰も見たことのないイルカ先生が見られる」という下心からだった。だから何があっても大丈夫な自宅にしたのだ。
いつも飲み会となると酒の注文だとか介抱だとかで飲む暇がない、とは聞いていたので、どれ位イルカ先生は飲めるのか、ということが把握しきれていなかったが、実際彼はいける口だった。あのザルのアスマや紅と付き合っていた俺でも、ちょっと驚いてしまう位だった。

しかし、驚くのはまだ早かった、ということを後々実感することになる。

酒が進むにつれ、イルカ先生は、呂律は回らなくなり、頬も赤く、実に何て言うか、色っぽい表情を見せだした。へらへらと笑い、彼は酔うと笑い上戸になるんだという事が分かる。傍から見ていてめちゃくちゃかわいい。この時点で「記憶を失っている?」のかはどうか分からなかったが、こんなイルカ先生を見れて俺は幸せ者だ、と天に感謝した。

ついに、むくむくと湧き起こってくる下心を抑えきれず、俺は胡坐をかくイルカ先生の肩を抱いて、耳元でそっと
「イルカ先生、そろそろお酒やめといた方がいいんじゃないですか?」
と囁くと、イルカ先生はへらっと笑い、
「らいじょうぶですよ〜」
と言った、瞬間だった。
がくっと彼の身体全体の力が抜け、後ろにのめる。俺は驚きながらも腕で彼を支えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
先生は目を瞑ったまま動かない。その顔に耳を近づけると、規則正しい寝息が聞こえてくる。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「突然寝出すなんて…」
と苦笑し、イルカ先生をベットまで運ぼうと抱きあげた途端、


俺の身体が宙に浮いた。


「え、」

そして何者かが俺の首根っこを掴み、窓を開けて、
ぽいっと、俺を外に放り出した。
暫く、それはイルカ先生がやったものだと把握できなかった。

イルカ先生の様子を見ようと酒はほどほどにしといたものの、それでも身体に響いていたらしく、なんとか受け身は取れたが、俺は茂みに無様な格好で落ちた。

恐る恐る窓を見上げると、そこにはまさに「今まで見たことのないイルカ先生」がいた。
眉間に皺を寄せ、侮蔑の籠もった瞳で俺を見下している。それはまさしく、汚い物を見る様な目だ。
俺はその瞳に射止められた途端、頭から冷水をぶっかけられた様な悪寒がした。
違う。いつものイルカ先生の怒った顔とは全く違う。
固まる俺をよそに、彼は窓を乱暴に閉めると、それに加えてカーテンまで閉め、部屋の明かりを消した。

俺は恐怖にかられながら、その茂みの中で一晩を過ごした。


これが、初めての「イルカ」との出会いだった。


明け方、幸い玄関のカギは開いていたので恐る恐る部屋へ戻ると、そこには二日酔いでダウンしたイルカ先生がいて、掠れた声で

「カカシ先生…?一体どこ行ってたんですか」

と言った。



俺はその瞬間全てを察し、「ちょっと酔い覚まししていました」と苦笑した。


「俺、酔って何かしてました?」という彼の問いにも、俺は笑って「何にもしてませんでしたよ〜」という感じではぐらかした。
これは絶対に先生自身に教えてはいけない。
だって、そんなこと先生に教えたら、もう「もう一人のイルカ先生」には会えなくなってしまう。

俺は茂みの中で、恐怖の他に、もう一つの感情が芽生え始めていることに気付いていたのだ。

それは「征服欲」だ。
蔑む様な目線から滲み出るプライドの高さ、そしてあの身のこなし。いくら咄嗟で、俺も少し酒を飲んでいたからとはいえ、俺を投げ飛ばした姿は普段のイルカ先生と比べたら失礼だが、全くの別人。そう言って良かった。
俺は、そんな彼をねじ伏せ、組み敷き、なんとしてでも自分のものにしたい、と思った。そしてもう一度、あの不遜な眼差しを拝みたかった。


イルカ先生は、酒がかなり後まで身体に残るタイプらしく、その日は丸一日寝込んでいた。そして、「暫くは飲まないようにします」と言った。




*** ***




それから2月ほど経ち、今に至る。あの辛い二日酔いの所為か、イルカ先生は暫く酒を飲もうとしなかった。俺も無理強いはいけないと思いながらも期待を胸にしつつ、もう一人のイルカ先生を勝手に「イルカ」と命名し、その時を待った。
もしかしたら、あの彼は二度と現れないかもしれないし、ともすれば俺の見間違えかもしれない。
でも、俺は何としてでも「イルカ」に会いたいと思った。


そして今、イルカ先生は俺の目の前で倒れている。
くる。「イルカ」がくる。

嵐の前の静けさとはこういうことなのか、いまは彼の寝息しか聞こえてこない。俺は手にしていたノンアルコールビールの缶を置いた。イルカ先生には言っていなかったが、この時の為に今日は酒を一滴も口にしていなかったのだ。

と。
むくり、と彼が起き上った。その表情は俯いているのでよく見えない。前回と同じ過ちを犯さない様、俺は距離を取りながら恐る恐る声をかけた。

「い、イル…」

がっしゃーんと言う音と共に、目の前のちゃぶ台が吹き飛んだ。どうやらイルカ先生、いや、「イルカ」が蹴り飛ばしたらしい。

「あんた、誰だよ」

床に散乱するビール缶を足で払いながら、彼は俺を見下ろし、言った。
そう、まさしくあの、俺が求めていた眼差しで、だ。
先程酔って赤くなっていた頬は、元に戻っている。いやむしろ、普段よりも白い位だ。しかしそれにしても「あんた誰」って。

「そこから聞きますか…」
「は?今なんつった」

思わず漏れてしまった心の声に、イルカはまた憎たらしい声で答えた。とても、あのイルカ先生の口から出る言葉じゃない。
とりあえず説明はしといた方がいいだろう。俺はイルカから視線を外さない様にしながらゆっくりと立ち上がり、自己紹介をした。


「えっと、俺の名前はカカシって言います。あなたの彼氏です」


ちょっと直球過ぎたか。イルカは仁王立ちのまま、ぴくりとも動かない。重い沈黙が流れる。その間にも、俺の身体は欲望でめらめらと燃えていた。まっすぐに見つめてくる彼の目。思わず身震いしてしまう。
その沈黙を破り、イルカは口を開いた。

「あんたが、俺の恋人?」
「はい」
「冗談だろ」
「いや〜冗談では…」

「あ゛ぁ゛!?」
まるで不良だ。大股数歩はあった距離を一瞬にして詰め、俺の胸倉を掴み、これでもかと顔を近づけてくる。俗に言う、メンチを切るというやつだろう。
「お前ふざけてんのもいい加減にしろよ」
怖いかと聞かれたら怖いに決まっている。上忍の癖に、これはまずいんじゃないかという焦りがこみ上げてきた。
俺の顔をまじまじと見ると、イルカの眉間の皺は一層深くなる。

「…何、にやにやしてんだよ」
「え」

そう。なぜだか心境とは反対に、俺の顔は緩んでいた。

「いえ、別ににやにやしてなんか…」
「お前馬鹿にしてんだろ!!」
さらに詰め寄られる。憤怒を湛えたイルカの表情はまさに般若だ。だがそういう表情を彼がし、暴言を吐いてくれば来るほど、俺はにやにやとした笑みを隠すことができなかった。



もっと、俺を睨んで、罵倒してください。



「…じゃあ、俺が貴方の恋人だってこと、証明しましょうか」
いきなりの提案に、イルカの胸倉を掴む手が僅かに緩んだ。
「は…?」
その瞬間を狙って彼を畳に押し倒す。派手な音を立てて彼は倒れたものの、次のステップへ進めない。ガードが固すぎるのだ。


「離せよっ……おい、聞いてんのか!?」
「これは…いつもの貴方よりも…強い、、ですね」

勿論いつものイルカ先生のガードも固い。だが、「イルカ」の場合はそれが半端ではない。暴れ方、動作のひとつひとつに威力がありすぎて、腕を掴み合いながら覆い被さるのがやっとの状態だ。下手したら腕の一本や二本が折れてしまうかもしれない。

また、間近に彼の顔が迫る。今にも殺してやらんばかりの表情。食いしばる歯の間から、グルルルルルと獣の唸り声が聴こえてきそうだ。
ぞくぞくする。このまま顔をぐぐっと近づけたら、鼻や口を食いちぎられるかも…。それ位の形相だった。

「お…おとなしく…ハァ…してください…ね…」

興奮のあまり鼻息が荒くなる。言葉は丁寧に行こうと心がけてはいるものの、次の瞬間にはタガが外れてしまいそうで怖い。
俺の目つきが異様過ぎたのか、イルカの目に恐怖の色が浮かんだ。その目もまたいい。怯えを孕んだ獣の瞳も、俺の情欲をますますかきたてる。

「…!?」
イルカの動きが一瞬止まる。彼の下腹に、俺のいきり立つ股間が当たったのだ。

「変態…!!」
「なんとでも、言って下さい…」

漏れ出てくる笑い声が抑えられないまま、掴んだ両腕を何とか一つに縫いとめようとしていた時だった。

ドスッ、という音と共に、頭が真っ白になる。


「にやにやしやがって…気持ち悪ィんだよ!!」
いつの間にかイルカは、股間を押さえてうずくまる俺を見下ろしていた。
どうやら隙をついて、膝頭で俺の股間を蹴りつけたらしい。迂闊だった。強烈な痛みが股間だけでなく脳をも締め付けてくる。

イルカはそのままアパートを飛び出していった。


「気持ち悪い」と彼は吐き捨てる様に言った。気持ち悪いか。最高じゃないか。ことあるごとに征服欲をかきたてる言葉を吐
いてくる。
今や俺は、侮蔑だけでなく恐怖の対象でもあるのだ。



「逃がさない……」

自分の頬がひくひくと引き攣っているのが分かる。
これから先にある楽しみのことを考えると、股間の痛みは瞬時に消えうせ、新たな欲望を求め怒張していた。

悦びに胸を膨らませながら、俺はイルカの後を追った。








20110306

最近、アニメ版のシグルイの藤木の顔がイルカ先生に見えます。
なんでなんだろ…;;;;



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